みどころ

《佐竹本三十六歌仙絵》過去最大31件集結!(2019年7月現在)

三十六人の優れた和歌の詠み人「歌仙」を描く、鎌倉時代の名品《佐竹本三十六歌仙絵》。かつて二巻の絵巻物だったこの作品は、大正8年(1919)に一歌仙ずつに分割され、別々の所有者のもとに秘蔵されました。2019年は《佐竹本三十六歌仙絵》が分割されてからちょうど100年を迎える年です。これを機に、展覧会としては過去最大の規模で、離れ離れとなった断簡37件(※)のうち31件が一堂に会します。


  • ※三十六歌仙に住吉大明神図を加え三十七図

《佐竹本三十六歌仙絵》のイロハ

「三十六歌仙」とは?

歌人・藤原公任(ふじわらのきんとう)(966~1041)の『三十六人撰』に選ばれた、三十六人の優れた歌詠み人。柿本人麻呂、小野小町、在原業平など、飛鳥時代から平安時代に活躍した歌人が挙げられています。

「佐竹本」とは?

鎌倉時代以降多く描かれるようになった歌仙の肖像を歌仙絵といいます。《佐竹本三十六歌仙絵》は旧秋田藩主・佐竹侯爵家に伝わったことから「佐竹本」と呼ばれます。

「佐竹本」は何がすごいの?

単に歌仙の容貌を描き分けるだけでなく、歌の意味に寄り添って歌仙一人一人の表情や姿勢に微妙な変化を加えています。そのことによって、詠んだ人物の心情さえも感じさせる肖像表現となっている点が、他の歌仙絵や同時代の肖像画に比べ大きく優れています。料紙や絵の具も最高級のもので、高雅な品格と味わい深い情趣を有しており、その美しさは、一歌仙ごとの断簡となっても損なわれていません。

100年前
日本美術史を揺るがす
大事件が起こった
「絵巻切断」
大正8年12月20日
益田孝(鈍翁)邸・応挙館
一枚一枚の歌仙絵の運命は
くじ引きに託された・・・

流転(ドラマ)の始まり!

 大正8年(1919)12月20日、当代一流の財界人や茶人数十名が、品川・御殿山の「応挙館」に集まりました。「絵巻切断」、運命の日です。佐竹本は、2年前の大正6年に佐竹侯爵家から「虎大尽(とらだいじん)」と呼ばれた実業家・山本唯三郎(やまもとたださぶろう)(1873~1927)に売却されましたが、経営が暗転したため再び売りに出されました。しかし、この高額な作品を単独で購入できる人物は見つかりません。文化財保護の法整備も十分でない当時、海外流出の恐れさえありました。


 そこで、当時の経済界の中心人物にして「千利休(せんのりきゅう)以来の大茶人」と呼ばれた益田孝(ますだたかし)(号・鈍翁(どんおう)、1848~1938)たちが発起人となり、《佐竹本三十六歌仙絵》を分割し、共同で購入する方針を決定します。呼び掛けに応じて集まった財界人や古美術商たちは、それぞれ抽選くじを引いて、自身の購入する歌仙絵を割り当てられることになりました。三十六歌仙に《住吉大明神(すみよしだいみょうじん)》を加え、三十七枚に分けられた絵巻の断簡。各図の価格は事前に差をつけて決められていましたが、高価でも人気の歌仙を入手したい一心で、神仏に願う者もいたと伝えられています。こうして、誰にどの歌仙が当たったのか、悲喜こもごものドラマが生まれました。

華やかな十二単(じゅうにひとえ)をまとう女性歌仙には人気も集中し、本図は4万円の「斎宮女御(さいぐうのにょうご)」、3万円の「小野小町(おののこまち)」に次ぐ高額な評価2万5千円が与えられました。最初の所有者は製糸商、原富太郎(はらとみたろう)(号・三渓(さんけい) )。

  • ※金額は当時の値段

重要文化財 佐竹本三十六歌仙絵 小大君(こおおきみ) (部分) 鎌倉時代 13世紀 奈良・大和文華館 【展示期間:11月6日~11月24日】

誰もが「女性」の歌仙を求めた

別格の「歌聖」、柿本人麻呂

柿本人麻呂は三十六歌仙に選ばれるより古くから多くの尊敬を集めた別格の歌人です。本図は、男性歌仙の中では最も高値がつけられました(1万5千円)。

重要文化財 佐竹本三十六歌仙絵 柿本人麻呂(かきのもとのひとまろ)(部分) 鎌倉時代 13世紀 東京・出光美術館 【展示期間:10月29日~11月10日】


「佐竹本」分割を主導した益田孝は、くじで僧侶を引き当ててしまいます。たちまち不機嫌になった益田に一同恐れをなして、一番人気の「斎宮女御」を引き当てた人物がこれを譲る羽目に。彼は一転機嫌を良くしたと伝えられます。

  • ※エピソードには別の説もあります。

重要文化財 佐竹本三十六歌仙絵 素性法師(部分) 鎌倉時代 13世紀 【通期展示】

「僧侶」を引き当てたのは誰?

100年愛され続けた「家宝」

流転を繰り返した佐竹本の各断簡ですが、最初の所有者の家を離れないまま100年の時を過ごしたものもあります。本図は十五代住友吉左衛門友純(ともいと)(号・春翠(しゅんすい))が入手したのち、流出することなく今日に伝えられました。

重要文化財 佐竹本三十六歌仙絵 源信明(みなもとのさねあきら) (部分) 鎌倉時代 13世紀 京都・泉屋博古館 【通期展示】


ホトトギスの鳴き声を聞きたくて、山路にじっと留まるうち日が暮れてしまったと詠う公忠を描きます。しかし、和歌の内容とは裏腹に、本図は所有者を転々としました。最初は、大阪の藤田(ふじた)組創業家の一人・藤田彦三郎(ひこさぶろう)が引き当てますが、その後、倉敷紡績を設立した岡山の大原家に入り、さらに萬野汽船の萬野裕昭(まんのひろあき)のもとに移りました。そして2004年には、萬野美術館のコレクションが臨済宗の名刹・相国寺に寄贈されます。公忠もようやく京都の地に落ち着き、静かに耳を澄ますことができたのかもしれません。

重要文化財 佐竹本三十六歌仙絵 源公忠(みなもとのきんただ)  鎌倉時代 13世紀 京都・相国寺 【通期展示】

「安住の地」を求めて

100年の流転(ドラマ)

 各所有者のもとに散り散りになった佐竹本。「切断事件」が一種の伝説となったことで、その価値はいっそう高まって、なかなか目にすることのできない“秘宝”となりました。とくに茶人にとって佐竹本を持つことは最高の憧れであり、ひとたび茶会に掛けられると大いに話題となりました。しかし、戦争、高度経済成長、バブル……激動の日本近現代史の片隅で、多くの佐竹本がその所有者を変えていきます。そこでは、新たに手にする人物と、泣く泣く手放す人物が織りなす、記録されることのないドラマが繰り広げられました。


 それぞれの佐竹本は、近年では美術館など法人所有となり公開の頻度が高くなったものも多くありますが、世に出る機会の極めて少ないものが依然として存在します。そして残念なことに、流転の末に行方知れずになってしまったまま、今日に至るものさえあるのです。


益田孝(ますだたかし)(鈍翁(どんおう))

《佐竹本三十六歌仙絵》分割の主導者。旧三井物産初代社長。日本経済新聞の前身「中外物価新報(中外商業新報)」を創刊するなど、近代日本経済界の重鎮でした。茶人として、また古美術の収集家としても名高く、国宝《源氏物語絵巻》(現・五島美術館)をはじめとする名宝を数多く所有していました。

鈍翁80歳、掃雲台にて。
写真提供:鈍翁in西海子


応挙館(おうきょかん)

応挙館(外観)
応挙館(内観)

大正8年(1919)12月20日、《佐竹本三十六歌仙絵》の分割がおこなわれた、鈍翁の邸宅。呼称は円山応挙(まるやまおうきょ) が描いた障壁画で飾られていることに由来し、当時は東京・品川区の御殿山に所在しました。昭和8年(1933)に、東京国立博物館に寄贈され、今に至ります。本展では応挙館を飾ったこの襖絵の一部も展示します。

《佐竹本三十六歌仙絵》ここに注目!

注目① − 和歌

みよしのの 山の白雪 つもるらし ふる里さむく なりまさりゆく

[口語訳]

吉野の山には雪が積もっているだろう。奈良の都も寒さが増していく。


注目② − 表情

彼の少し赤い頬も、歌を踏まえると寒さのためかと想像したくなります。


注目③ − 表具

分割された歌仙絵は、それぞれの所有者によって趣向を凝らした表具を施され、掛け軸に仕立てられました。本図の表具は、鹿の住む雪山を描いた中世の絵画を切り取ったものを用いています。表具、歌と肖像が一体となって季節感を演出した本作は、冬の茶席によく合う一幅といえるでしょう

重要文化財 佐竹本三十六歌仙絵 坂上是則(さかのうえのこれのり)  鎌倉時代 13世紀 文化庁 【通期展示】

至高の王朝美術と和歌の世界

本展では、国宝《三十六人家集》をはじめ、平安・鎌倉時代の和歌や歌仙にかかわる美術品もご覧いただきます。元号が令和に変わり、日本古来の文化が見直されている中で、華やかな王朝美術の至宝をご堪能ください。

料紙装飾の傑作

重之集

三十六歌仙の人物ごとに和歌を記した冊子で、贅を尽くした料紙装飾がページごとにきらびやかな世界を展開します。平安貴族の三十六歌仙への憧れが伝わる名品中の名品。

国宝 三十六人家集(さんじゅうろくにんかしゅう) 平安時代 12世紀 京都・本願寺 【通期展示】 ※ただし帖替え・ページ替えがあります

新時代の王朝絵巻

「昔、男ありけり」でおなじみの、歌物語の古典『伊勢物語』。鎌倉時代につくられた本絵巻は、構図や色調に新鮮な美意識があふれています。

重要文化財 伊勢物語絵巻(いせものがたりえまき)(部分) 鎌倉時代 13~14世紀 大阪・和泉市久保惣記念美術館 【展示期間:11月12日〜11月24日】